わがまちsai発見 見沼通船堀から見沼田んぼをゆく
芝川
さいたま市を南北に流れる芝川。 その流れに沿って広がる田園地帯を見沼田んぼとよびます。 現在でも歴史や伝説を感じさせてくれる史跡が残っています。 そんな見沼田んぼの一部、見沼通船堀から見沼代用水西縁の氷川女体神社にかけてご紹介しましょう。
古代、この地は海でした。 やがて海が後退すると広大な沼沢地へと姿を変え、そのまま江戸時代をむかえます。 寛永6年(1629)、この地を治めていた
時は下って徳川吉宗の頃、当時の新田開発の推進にあわせて見沼溜井も開発されることになります。 この見沼干拓を任されたのが
近年の見沼は、減反政策のため田んぼが減り、昔の景色から大分変わってしまいました。 ですが、この地の歴史や伝説を感じることができる場所は今でも残っています。 またハイキングコースが整備されてJRの「駅からハイキング」が催されたり、バードウオッチングに人が集まったり、見沼田んぼはレジャーの場所として身近なものになっています。
見沼通船堀
東西の見沼代用水とその中間を流れる芝川を結ぶために作られた、わが国最古の
八丁堤
見沼溜井造成時の堤。現在も交通量の多い道路として活躍している。沿道には、見沼通船の差配役だった鈴木家の住宅、
木曽呂の富士塚 【川口市】
寛政12年(1800)に築かれた県内最古の富士塚。台地の上にさらに5mの高さで築かれているのでかなり高く、通船堀を眼下に眺めることができる。頂上には火口があり「お鉢巡り」もできる。ふもと近くにある
念仏橋
木の橋だったころ、渡ろうとするとみしみしと揺れたので、人は落ちないように念仏を唱えながら渡ったという。
見沼代用水西縁
代用水にそって桜が見事。現在の見沼田んぼは花や植木の栽培が盛ん。1年を通して様々な花が楽しめる。
氷川女体神社
祟神天皇の時代に勧請したとされる由緒ある神社。
見沼氷川公園
見沼代用水をはさんで氷川女体神社の向かいにある公園。見沼干拓後におこなわれていた「
左手に見える森が氷川女体神社の社叢。
見沼のい・ろ・は ・・・本の紹介
書名 (書名をクリックすると、検索結果画面が表示されます) | 著者名 | 出版者 |
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『見沼・その歴史と文化』 写真豊富でみやすく、とにかく解説が読みごたえあり。 |
浦和市立郷土博物館/編集 | さきたま出版会 |
『浦和を知る事典』 | 青木 義脩/著 | さきたま出版会 |
『見沼田んぼを歩く』 | 小林 義雄/著 | 農山漁村文化協会 |
『井沢弥惣兵衛』 井沢為永を絵と豊富な解説で読みやすく紹介。 |
市川 正三/画文 | 見沼代用水土地改良区 |
『浦和市史 民俗編』 | 浦和市総務部市史編さん室/編 | 浦和市 |
『川口市史 通史編』上巻 | 川口市/編 | 川口市 |
※このページは、来ぶらり通信第3号(2007年4月15日発行)の「わがまちsai発見」を再編集したものです。