バラのまちだより No.7
バラの画家ルドゥーテ生誕250周年
今から250年前の1759年7月10日、ピエール=ジョゼフ・ルドゥーテは、現在のベルギーにあたる山間の小さな町で、画家一家の次男として誕生しました。
5歳で独立し、修業の旅に出たピエール=ジョゼフがたどり着いたのはパリ。そこで彼は王立植物園に入り浸るようになります。仕事の合間に植物園に通っては熱心にスケッチをする彼の姿は、やがて裕福な植物学者・レリティエの目に留まりました。レリティエを手伝って植物画を描き、オランダ人画家スパーンドンクから絵を学んだルドゥーテ。レリティエの推薦により、マリ=アントワネットの蒐集室付画家もつとめたそうです。
革命後はナポレオン妃ジョゼフィーヌに雇われ、マルメゾンの庭園に集められた世界中のバラをスケッチする記録係となりました。こうして生まれた170枚もの原画からなる代表作『バラ図譜』は、芸術的に優れているだけでなく、植物学的にもたいへん正確に、当時のバラの美しさそのままを私たちに伝えてくれています。
- 「薔薇空間 宮廷画家ルドゥーテとバラに魅せられた人々」 ランダムハウス講談社
- 「バラ」 ペトラ=アンドレア・ヒンツ著 タッシェン・ジャパン
- 「バラ図譜」 ピエール=ジョゼフ・ルドゥーテ著 河出書房新社
- 「バラの画家ルドゥテ」 シャルル・レジェ著 高橋達明訳 八坂書房
- 「バラの誕生」 大場秀章著 中央公論社
- 「ルドゥーテのバラ」 タッシェン・ジャパン
バラにまつわるこんな本はいかがですか?
~つよく、瑞々しい感性~
- 「薔薇は生きてる」 山川彌千枝著 創英社
大正7年生まれ、昭和8年没…彌千枝(やちえ)は肺結核により16歳という若さでこの世を去った。佐々木信綱門下の歌人を母に、ドイツ語教授を父に持つ彌千枝が8歳の頃から書き始めたエッセイ風の文章、13歳から亡くなる直前までの日記、親友への手紙、短歌等をまとめた遺稿集。病身を嘆きつつも、そのことばは少女らしい新鮮で明るい魅力に満ちている。
~幸せの野ばらのおまじない~
- 「遠い野ばらの村」(「童話集 遠い野ばらの村」 安房直子著 筑摩書房所収)
ひとりで雑貨屋を営むおばあさん。きれいな川とたくさんの野ばらが咲く村に住む息子や孫の話を、いつもとっても幸せそうに語ります。孫娘のために反物を買って、着物を縫うことも。でも本当は、息子も孫もおばあさんの空想で、家族などいないのです。
ところがある日、おばあさんの空想どおりの可愛い女の子が、おばあさんの前に現れました。おみやげに持ってきた野ばらの香りの石鹸は、村の人に大評判ですぐ売り切れ。1週間後、二人の弟を連れてやってきた孫娘は、ふしぎなおまじないをおばあさんに見せます。楽しいひとときをすごした翌朝、孫たちの正体が明らかに…
~星の王子さまへの献身~
- 「バラの回想 夫サン=テグジュペリとの14年」 コンスエロ・ド・サン=テグジュペリ著 香川由利子訳 文藝春秋
エル・サルバドルに生まれ、アルゼンチンでサン=テグジュペリと運命的に出会い結婚したコンスエロ・スンシン。香水の名前にもなった出世作『夜間飛行』はコンスエロのために書かれたという。しかしパイロットでもある夫は不在が多く、女性関係も華やかで、コンスエロを苦しめる。何度も別離を決意しながらも別れられず、第二次大戦下、サン=テグジュペリが空で消息を絶つまで、ひたすら待ち続け、愛し続けたコンスエロによる回想録。一方では悪妻とも伝えられてきたコンスエロの、別の側面が見えてくる。
この世で一番大切なバラの花のもとに帰って行った王子さまのように、サン=テグジュペリの心も最期は自分のバラ・コンスエロのもとへ帰ったのだろうか。
バラを漢字で書いてみよう
- 「大漢和辞典」でひいてみると…
- 薔… くさかんむり + 土 + 人2つ + 回
- 薇… くさかんむり + 微…ではありません(下部に注目)
- 音読みで「しょうび」とも読むそうです。
- 「広辞苑」でひいてみると…
- (「荊棘」とも書く)とげのある木の総称。いばら。
- バラ属の観賞用植物の総称。(以下略)
「しょうび」「そうび」とも読みます。
参考
- 「大漢和辞典」 大修館書店
- 「広辞苑」 岩波書店
中央区はバラのまち…「バラのまち」コーナーへどうぞ
中央区の花「バラ」にちなみ、花が咲く5月と10月に発行しているこの「バラのまちだより」。おかげさまで3年目を迎え、第7号を発行することができました。
与野図書館と与野図書館西分館の館内にある「バラのまち」コーナーでは、「バラのまちだより」掲載資料を中心に、バラにちなんだ資料をあつめています。花散歩のついでに、どうぞお立ち寄りください。