バラのまちだより No.21
Museum of Roses
ブルガリアのカザンラクという町に「バラ博物館」があるのをご存知ですか?バラの博物館…といっても花が展示してあるわけではなく、バラの香油の製造過程を中心に、蒸留用の釜や輸出する製品に印刷する活字版など、昔の道具を紹介している世界にも珍しい博物館。現地の言葉ではムゼイ・ラ・ロザタと発音します。もともとバラの研究所だった建物を利用しており、博物館そのものも風情があります。
カザンラクがあるのはブルガリアの中央部。バルカン山脈とスレドナ・ゴナ山脈に挟まれた東西100kmほどのバラの谷と呼ばれる地域で、バラの花の一大産地です。町の名前のカザンラクもバラを加工する際に使う「銅の釜」を意味します。
ここで生産されるローズ・オイル(精油)は「ブルガリアの金」とも呼ばれ、世界で最も品質が高いことで知られています。世界の香水の多くがレシピにブルガリア産の精油を加えているため、ここのバラがとれなくなったら香水も作れなくなってしまうそう。町ではエッセンシャルオイルの他、バラの花びらから作った香りのいい甘いお酒やせっけんなども販売しています。
参考資料
- 『神様がくれた国ブルガリア』 明石和美/文 長谷川朝美/写真 愛育社
- 『ブルガリアブック』 すげかわさよ/イラスト・執筆・撮影 ダイヤモンド・ビッグ社
- 『地球の歩き方 A28 2015-16』 ダイヤモンド・ビッグ社
詩人やなせたかしとバラ
アンパンマンで知られる絵本作家のやなせたかしさん。「浦和うなこちゃん」の生みの親でもあり、さいたま市ともご縁の深い方ですね。やなせさんは詩人としての顔も持ち、全3集にわたる『愛する歌』という詩集を出版されています。その中の1つ『バラの花とジョー』という作品をご紹介しましょう。
ジョーはとしよりの 目の見えない犬だ ジョーがすきなのは きれいなバラの花 バラの花のかげで ジョーはいつもねむった バラの花はゆれた やさしくゆれた バラの花とジョー バラの花とジョー 「ぼくはとしよりの 目の見えない犬だ きみはまだ若い きれいなバラの花 あんまりちがいすぎる」 バラは風にうたった 「私はジョーが好きよ こころのそこから好きよ」 バラの花とジョー バラの花とジョー (ジョーはある年 とてもおもい病気になった) ジョーはバラにいった 「きれいに咲いたかい」 バラの花はこたえた 「夕陽よりもきれいよ」 目の見えないジョーはわらった そして花の下で ほほえみうかべて死んだ バラの花とジョー バラの花とジョー 都会の空気は とても汚れて その春のバラは ほんとはみじめだった バラはうそをついた ジョーが死ぬといっしょに バラの花もちった みじかい生命がおわった バラの花とジョー バラの花とジョー 出典:『詩集 愛する歌 第三集』 |
やなせさんはこの作品について「まずお話をかいて、それを詩になおし、もう一度お話にかきなおした」と解説しています。
ひとりぼっちの犬ジョーとバラの花は恋人同士で、ある日、カラスにおそわれたバラを守ろうとして戦ったジョーは、目が見えなくなってしまいました。二人はその後もずっと一緒に過ごしましたが、数年後、ジョーは犬とりに追われて崖から落ち、瀕死の重傷を負います。死の間際、ジョーはバラに今年もきれいに咲いているかを確かめて、幸せそうに天国へ旅立ちました。しかし実はバラは近くにできた工場の煙のために、小さく黒ずんだ花しか咲かせることができず、ジョーに嘘をついていたのでした。
最後までお互いを思いやるジョーとバラの優しい姿。悲しいのに不思議とあたたかな気持ちに包まれます。アンパンマンとは少し違った、やなせさんの詩の世界をのぞいてみませんか?
参考資料
日本初のドライフラワー
前号でとりあげたドライフラワーの作り方。試してくださった方も多いかと思います。さて、日本ではいつ頃から作られていたと思いますか?
歴史を紐解くと、ドライフラワー作りは北部ヨーロッパから始まりました。食料や薬草の貯蔵と同様に、花の得られない冬の室内装飾のために、開花時に集めて乾燥し、貯蔵されたのです。イギリスでは特にビクトリア朝時代にフラワー・アレンジメントが流行したこともあって、薬草・香料とともにドライフラワーになる植物の研究が盛んになり、当時の婦人たちの間に親しまれ、実用化していきました。
日本で実際にいつから作られていたかというのははっきりしませんが、書物の中に登場するのは元禄8年(1695年)のことです。江戸で植木屋を営んでいた伊藤伊兵衛によって『花壇地錦抄(かだんちきんしょう)』という園芸書が書かれました。
そのなかに、
『千日向(せんにちかう) …此花九十月の時分枝ともにかり、かげぼしにして、冬立花の下草につかふ。色かわらずして重宝なる物。』
という記述があり、これが日本初のドライフラワーの作成法だといわれています。
その後第二次大戦後の生け花界では、野や山で自然に乾燥した茎・果実・種のさやなどを薬品で脱色、漂白し、着色したりしたものを「枯れもの」と称して、素材の一部としてとりいれ始めました。現在では専門家以外の愛好者が手作りで楽しむ機会も多くなりつつあります。