中央図書館 北沢楽天コーナー

 中央図書館では、地域行政資料架の一角に「北沢楽天コーナー」を設けました。北沢楽天に関する資料を中心に、漫画文化に関する本を集めています。
北沢楽天は、さいたま市と深いつながりを持った人物です。先祖代々の土地である大宮に「楽天居」を構え、晩年を過ごしました。「楽天居」は、楽天の遺品とともに妻のいの氏より、旧大宮市に寄附されました。遺品などはさいたま市立漫画会館に残されています。

電子書籍で北沢楽天の作品がご覧いただけます

『楽天全集』(全9巻のうち4巻、8巻は未刊)
『楽天全集 第1巻 明治大正昭和漫画集』 北沢 楽天/著 アトリエ社 1931
『楽天全集 第2巻 世態人情風俗漫画集』 北沢 楽天/著 アトリエ社 1931
『楽天全集 第3巻 金言警句川柳漫画集』 北沢 楽天/著 アトリエ社 1931
『楽天全集 第5巻 世界外交戦争漫画集』 北沢 楽天/著 アトリエ社 1931
『楽天全集 第6巻  凸茶目漫画集』 北沢 楽天/著 アトリエ社 1931
『楽天全集 第7巻 ブルプロ漫画集』 北沢 楽天/著 アトリエ社 1931
『楽天全集 第9巻 女百態エログロ漫画集』 北沢 楽天/著 アトリエ社 1931

 

中央図書館 北沢楽天コーナーの場所


北沢楽天

 北沢楽天(1876~1955)は、外国人向けの英字新聞社で西洋漫画の手法を学び、当時「ポンチ絵」「おどけ絵」と呼ばれ、評価が低かった風刺画を、近代漫画として確立させました。本名は保次(やすじ)、楽天はペンネームです。明治から昭和にわたり、日刊新聞『時事新報』や雑誌『東京パック』で政治や社会の世相を巧みに捉えた風刺漫画や、ユーモラスなコマ漫画などを描きました。明治9(1876)年、大宮宿の旧家・北沢甚之丞保定の四男として東京市神田区駿河台(現在の千代田区駿河台)に生まれました。北沢家は寿能城の家老職であり、中山道大宮宿紀州鷹場本陣の家柄でした。幼い頃から絵を描いていた楽天は、明治25(1892)年、画塾・大幸館に通い、堀江正章に洋画を学び、明治28(1895)年4月、外国人向けの英字新聞を発行する「ボックス・オブ・キュリオス社」に入社し、オーストラリア人の漫画家フランク・A・ナンキベルから西洋漫画を学んで、漫画を描くようになりました。明治32(1899)年、福沢諭吉が創刊した新聞『時事新報』を発行する「時事新報社」に入社します。 新聞記事を分かりやすく伝えるため、絵画部員として新聞に絵を描きました。特に楽天が描く「時事漫画」コーナーは大人気で、当時「ポンチ絵」や「おどけ絵」と呼ばれ評価の低かった風刺画を、きちんとした絵と内容で大人から子供まで楽しめる「漫画」へと発展させました。明治38(1905)年、日本初のカラー漫画雑誌「東京パック」を創刊。政治、社会の問題、文化などいろいろな話題を取りあげておもしろい漫画にしたところ、大反響を呼び、大勢の人々が楽天の漫画を楽しみました。 楽天は、近代日本漫画のルーツにあたる重要な漫画家のひとりであり、漫画を職業として成功した人といわれています。昭和4(1929)年、世界漫遊の旅(パリに滞在し、欧州各国、エジプト等を漫遊)に出発、旅先で描いた漫画旅行記の原稿を日本に送り、「時事漫画」の連載を続けました。パリの美術展(パリ・サロンドオトンヌ等)で楽天の絵が評価され、フランス政府からレジオンドヌール勲章を贈られました。昭和7(1932)年7月、時事新報社を退職すると自宅に「楽天漫画スタジオ」を開設、それを発展させた「三光漫画スタジオ」を弟子たちの活動のために提供し、支援しました。昭和23(1948)年11月、大宮市盆栽町(現さいたま市北区盆栽町)に引っ越し、「楽天居」を構えました。日本画を描きながら余生を送っていましたが、昭和30(1955)年8月に脳出血のため自宅で急逝。享年79歳でした。昭和31(1956)年5月、これまでの功績を称えられ、大宮市名誉市民第1号に推挙されました。

北沢楽天略年譜

1876年(明治9年) 7月20日、東京市神田区駿河台(現在の千代田区駿河台)に生まれる
北沢甚之丞保定の四男として誕生(本名は保次)
1883年(明治16年) 東京神田錦華小学校に入学
1890年(明治23年) 東京神田錦華小学校を卒業、横須賀の医師・井上春瑞の元で医学修行するも翌年頃帰京する
1892年(明治25年) 画塾「大幸館」に通い、堀江正章に洋画を学ぶ
1895年(明治28年) 4月、横浜の「ボックス・オブ・キュリオス社」(横浜外人居留地の英字紙『ボックス・オブ・キュリオス』を発行)に入社
オーストラリア出身の漫画家:F.A.ナンキベルから西洋漫画の描法を学ぶ
1899年(明治32年) 福沢諭吉の主宰する「時事新報社」に絵画部員として入社
政治・社会風刺漫画を発表
1902年(明治35年) 日刊新聞『時事新報』の日曜特集ページとして「時事漫画」を発表
1903年(明治36年) この頃から「楽天」のペンネームを使うようになる
1905年(明治38年) 1月に鈴木いの氏と結婚
4月、日本初のカラー漫画雑誌「東京パック」を創刊
1912年(明治45年) 漫画雑誌「東京パック」を離れ、6月に「楽天パック」、7月に「家庭パック」を創刊
1921年(大正10年) 日刊新聞『時事新報』の日曜版付録として独立させた『時事漫画』を創刊
1929年(昭和4年) 世界漫遊旅行に出発、旅先で描いた漫画旅行記の原稿を日本に送り、「時事漫画」を連載
パリ・サロンドオトンヌに出品、入選し、レジオンドヌール勲章を贈られる
1930年(昭和5年) 2月、ロンドンにて絵画展開催
アメリカ経由で帰国し、『楽天全集』を発行する
1932年(昭和7年) 7月、時事新報社を退社
自宅アトリエを開放し「楽天漫画スタジオ」を開設
1934年(昭和9年) 「三光漫画スタジオ」と改名し、後進に門戸を開く
1943年(昭和18年) 5月、日本漫画奉公会が結成され、会長に就任
1945年(昭和20年) 7月、宮城県遠田郡田尻町に疎開
1948年(昭和23年) 11月、大宮市(現・さいたま市)盆栽町に楽天居を構え、日本画を描きながら余生を送る
1955年(昭和30年) 脳出血のため急逝(享年79歳)
大宮市名誉市民第1号に推挙される
1959年(昭和34年) いの夫人が楽天の作品・遺品・楽天居を大宮市に寄付する
1964年(昭和39年) 6月、北沢楽天顕彰会が発足
1966年(昭和41年) 11月、大宮市立漫画会館が開館

参考文献
『楽天』 北沢楽天/著 北沢楽天顕彰会 1980
『北沢楽天-日本で初めての漫画家-』 北沢楽天顕彰会/編著 さきたま出版会 2019
『北澤楽天と岡本一平-日本漫画の二人の祖-』 竹内一郎/著 集英社 2020

さいたま市紹介映像・テレビ広報番組「のびのびシティ さいたま市」

漫画の歴史と北沢楽天/テレビ広報番組(令和2年12月6日)

子どもから大人まで楽しめる「漫画」を紹介。さいたま市出身で近代漫画の先駆者「北沢楽天」の功績や漫画の歴史を、さいたま観光大使で漫画家のあらい太朗さんに解説してもらいながら漫画を描くポイントを教えてもらいます。

YouTubeで配信しています。(新しいウィンドウで開きます)

関連施設 関連サイト

さいたま市立漫画会館

日本近代風刺漫画の祖である北沢楽天(きたざわ らくてん)の晩年の邸宅跡地に、漫画を文化として育てていくことを目的として昭和41(1966)年にできた日本初の漫画に関する美術館です。北沢楽天の作品や現代漫画家の作品を展示し、漫画に関する様々なイベントを開催しています。楽天が当時の世相や庶民の生活などについて、遊びと諷刺の効いた漫画を描いていたことにあやかり、毎年、北沢楽天漫画大賞という漫画作品のコンテストを開催しています。

所在地:〒331-0805 埼玉県さいたま市北区盆栽町150番地
さいたま市立漫画会館ホームページこちら

 

関連サイト

北沢楽天(さいたま市ホームページより)

北沢楽天漫画大賞(旧市民漫画展)(さいたま市ホームページより)

漫画会館(さいたま観光国際協会ホームページより)

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図書・雑誌をはじめ、散策マップ・パンフレット・リーフレット・催し物ちらし・イベントでの配布物や、広報紙等の定期刊行物・北沢楽天関連の活動報告書、論文等もお待ちしております。
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